2005年05月12日

No.15 幸福感比率

"No.10 GW特別エントリー働く事"で書いた幸福感比率について、ある方からメールを頂きました。

その内容は、1,幸福感比率という言葉は何ですか? 2,年収が上がれば幸福感比率が上がる→高い食事をおいしいと思い、それを追い求めるのは当然なのでは?
といった内容でした。まさかblogで書いた内容をメールで問い合わせ頂くとは思ってもみなかったので、今回は僕が書いたその文を少し掘り下げてみます。

まず、幸福感比率という言葉ですが、全く経済用語ではありません。僕が勝手に考えた言葉です。それを記述していなかった事をお詫びします。僕が考えた幸福感比率とは、あるモノを買ったり、食べたり、何かのサービスを受けたりと、そんな時に支払うお金があります。そのお金を年収で割って比率を出すとします。その比率が、自分にとって幸福感を得るのかどうか。

その物差しとして、幸福感比率という言葉を思いついて、用いただけです。暮らしの欲求として、衣・住・食がありますよね。近年では、それに加えて、多くのサービスというものも含めていいかもしれません。人によって、それらに重点を置く割合は違うはずです。それはNo.10 GW特別エントリー働く事でも書いたとおりです。

グルメな方は食に、お洒落な方は衣に、お金をかける割合が多いはずですので、そうでない方より幸福感を得る為の比重が高くなっている方が多いと思います。その比重の高さが幸福感比率が高く設定されていると、僕は考えています。

2つめの質問とかぶるのですが、注意したかったのが、『幸福感比率が高い=お金持ち』という方程式ではないという事です。例えば、極論になりますが、年収100万円の方が、食に対して100万円を費やしているとします(この際、税金等の難しい問題は省きますね)。そうすると、食に対する幸福感比率は100%ですよね。つまり、先程の方程式ではないという事です。

2つめの質問の、年収が上がる事によって幸福感比率が上がると言う質問ですが、そう言っている訳じゃない事が分かると思います。年収が上がっても、衣・食・住の要素が何も変わらなければ、幸福感比率が下がる事になりますね。

又、年収の上下に関わらず、幸福感比率を一定にしようとする事は本末転倒で、それこそ何の為に幸福感を味わうのかが意味をなさなくなります。幸福感比率を味わう為に、幸福感比率を設定して生きる訳じゃありませんよね。単なる目安です。

幸福感比率が高いとか、低いとかで、その方の暮らしや生活のレベルを計ろうとするものではありません。あくまでも、個々の趣の物差しとしての目安なだけです。では、何故そんな事をblogにしたかというと、自分の経済感覚をスッキリと整理する為にblogを活用させて頂きました。

経済学者の方が見れば、バカヤロ!と怒られる考え方かもしれませんが、あくまでも一個人の考えとして受け取ってもらえれば幸いです。

僕がNo.10 GW特別エントリー働く事で言いたかった事を簡潔にすると、"値段が高い食事≠おいしい食事"という事です。それは、安くてもおいしい食事があるという事ではなく、僕にとって、ある一定を超えた食材は、その一定から上は同じ味に思えるという事です。

昨日、ラジオで聞いたんですが、僕と同じ様な事を言ってる方がいました。それは、『1つ1万円のオニギリを食べた事があるが、おいしいと思えなかった。コンビニオニギリの方がおいしかった』という事でした。どうやら、100年間漬け込んだ梅干のオニギリだったらしいのですが、すっぱいだけで、1つ1万円と言われても、どう違うかが分からなかったという事でした。

僕が思っている事と同じです、はい。その1万円を高く思うか、安く思うか、はたまた、おいしいと思うか…。それは個々の自由です。誰にも批判されません、個人の趣の割合、つまり個々でおのずと設定している幸福感比率ですからね。

P.S.え~僕の中で、幸福感比率が最も高いモノは・・・、缶コーヒーですね。何せ一日に6本位は・・・。

By tenshu @ 11:25 PM | 個人事 | コメント (0) | トラックバック (0)

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